伊藤 坦庵 いとう たんあん
   

士峯 高入青冥雲始収
諸峯羅列不能儔
孤根豈止蟠三國
氣壓扶桑六十州
士峯(=富士山) 高く入る青冥(=青空) 雲 始めて収める
諸峯 羅列するも 儔(=同列の仲間)は不能
孤根 豈に止む 三国(=世界)を蟠(めぐ)
気は壓(=おさえる) 扶桑(=日本)六十州(=全国)
5.6p×36p

元和9年(1623)生〜宝永5年(1708)歿
 名は宗恕、字は元務、号を坦庵・不輟斎・自怡堂・白雲散人などと称した。京都の人で、伊藤龍洲の養父。
 初め曲直瀬玄朔に学び医学を修め、のち藤原惺窩の門人那波活所に京学系の朱子学を学ぶ。伊藤仁斎との深い親交でも知られ、芭蕉の漢学の師でもあった。
 越前国福井藩主松平光通の禄を受けて藩の儒官となったが、福井にはいまだ藩校の施設がなく、本拠を京都に置いたまま、ときおり来藩して藩士の教育に当たった。
 師の江村専斎の談話を筆記した『老人雑話』は、近世社会の様相を伝えている。
 落款はなく、白文回文「藤宗恕印」の落款印が押されている。

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